収穫の秋
2021年9月2日
今、越後平野は実りの秋を迎え
黄金の絨毯を敷き詰めた壮大な風景が広がっています。
しかしながら、このような整備された美しい田園風景になるまでには
実は長い歴史があるのです。
農業が主要産業であった明治初期においては
新潟県は全国1位の人口を誇っていたほど昔から農業が盛んでしたが
江戸時代まで遡れば、信濃川の氾濫により稲作がうまくいかず苦しみ
農民は幕府に何度も分水路建設を請願し
200年あまり繰り返された請願がようやく認められ、
明治42年にようやく「大河津分水」の工事が始まったそうです。
この美しい田園風景は大規模な治水工事や
土壌に適したお米の品種改良などが繰り返された末
長い時間をかけた先人たちの多大な努力があったからこそ。
新潟といえば「おいしい食べ物の宝庫」と言われますが
そうした歴史の積み重ねがあったからなのですね。
自然の恵みをありがたがるばかりではなく
そんな先人達の思いに恥ずかしくないよう
右門明治堂も日々精進したいと考えています。